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2013年  7・8月
6月中旬から指が腱鞘炎になり更新が遅れています。申し訳ありません。
 
8月30日 「旅行三日目・後編A」
ねんねこ家を過ぎ、坂を下りながら地図を開きました。どこの道を行こうか修巳に相談し
ようと顔を上げたら娘しかいません。え?と前を見たら修巳は50メートルも先を歩いて
いました。なぜ自分だけさっさと行ってしまうんだろうとがっかりしました。娘が見たいと
いう店があったので呼び戻そうと思いましたが、携帯があるからいいかと思いそのまま
にしました。
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後で電話したら、お腹が痛くなったそうですが、どこのコンビニに行ってもトイレがなく
(普通必ず店にあるのに信じられません)、駅まで歩いてまたこちらに歩いて戻りで疲れ
た声になっていました。絶対に食べると決めていた有名な根津のたい焼にいると呼びま
したが、ただでさえ行列になっているのに一人で20個も頼んだ人がいて、たい焼2個を
手にするのに長時間、修巳を待たせました。それでもう機嫌が良くなかったです。
            
         
ガイドブックにも載っている豆腐料理の店を見つけましたが修巳の顔を見て断念し、その
近くの中華料理店に入りました。その後で見たかった店のある方へ歩き出したのですが、
想像以上に一軒一軒が離れていて、地図を確かめている間にまた修巳はどこかへ行って
しまいました。私と娘は通りを行ったり来たりして店を探し歩き、痛む足を休めようと喫茶
「乱歩」に入りました。猫がいる有名な店ですが残念ながらこの日は店に猫はいません
でした。
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高村光太郎、智恵子の家の跡地と宮本百合子の家の跡地を探しに行こうと修巳を呼び
ましたが、一緒に通りを渡ったのに「俺は行きたくない。」と引き返して行ってしまいました。
目的の場所はさっぱりわからず、高村光雲の家の跡地の辺りを行ったり来たりしてかなり
歩きました。宮本百合子の方はわかりましたが、光太郎・智恵子の方はわからず終いで
した。(プレートしかないことはわかっていましたが、それさえ見つけられませんでした)
修巳は地図を見るのが得意だし、こういう時に「こっちじゃないか」と探してくれるのを期待
してたから心底がっかりしました。
              
         
その後で谷中銀座商店街へ行きました。ここでようやく修巳と再会しましたが、一軒一軒
一緒に見て歩くはずが修巳はさっさと30秒ほどで通り抜け、ここに何の用があるんだ?と
いう顔をしたのでまたがっかりしました。考えてみれば以前、娘と来た時はクリスマスの夜
で商店街に灯りが点り人も多くて歳末の賑わいがありました。理容店、牛乳店、婦人服店
といった生活に密着した商店街であり、前日の川越とは違うことを考えていませんでした。
娘とは店や物についていくらでも話が弾みましたが、修巳に仲間に入ってもらうのは無理
だったようです。
      
      
     
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猫がいることで有名な夕焼けだんだん(石段)付近にはこの時3匹くらいいました。そこで
最後に写真を撮って帰路につきました。この日がメインのつもりだったのに大失敗に終わっ
たのが残念でした。娘も多忙ですが友達とでも一度歩いてもらっておけば良かったなと
思いました。
                                 
                    
追記
「ビスケット」という輸入雑貨の店でとても素敵なカードを買いました。フランス人形のような
女の子が綺麗なドレスを着ている絵があんまり可愛いくて、高かったけど2種類買いました。
「絶対に無くさないようにしっかりしまっておかなくちゃ!」と思ったことまでは覚えているの
ですが、しまった場所を忘れました。ここじゃないかという場所は全て探したけれど見つかり
ません。もう泣きたいです。間違えて捨ててしまったなんてことはないと思うのですが。
     
8月9日 「旅行三日目・後編@」
結論から言うと、この旅行最終日後編大失敗でした。
もともと、修巳がこの旅行を提案してくれた時、2年前に娘と二人で歩いた谷中を修巳
にも歩いてもらいたい、三人であれこれ店を探しておしゃべりながら散策したいという
のが「銀婚記念旅行」の私の最大の目的でした。ところが、二日目の川越で歩き疲れ、
この日も谷中に行く前に東大に寄って体力を使い、その上、欲張って竹久夢二美術館
に寄ったためにさらに時間を使って足が疲れてしまい、谷中散策をスタートさせる前に
みんな無口になってしまいました。それでも谷中界隈に来た時は嬉しかったです。
       
まずお寺の地区から歩き始めました。数歩先には次のお寺があるという寺の多さに
びっくりしました。風情のある路地はパスしてひたすら前へ行くと有名な「みかどパン
店」が。店主のおじいさんが鉢から育ててここまで大きくなったヒマラヤ杉が目印です。
三叉路にあるから「みかど」だそうですが、再開発でなくなるかもしれないとか。
この風情は絶対に残して欲しいです。
             
      
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以前娘と来た時にお邪魔した「ねんねこ家」も通りました。以前は中でグッズ販売をして 
いたのですが、今は喫茶店だけになってしまいました。グッズは通信販売で買えますが、
販売を終了するものもあります。興味のある方は写真をクリック!
          
                                  画像:並文鳥のつれづれ
「ねんねこ家」までは三人一緒でした。 つづく、、
         
  
7月2日 「旅行三日目・前編」」 
 (一日目は5/30、二日目は6月の日記をご覧ください)
私と娘は旅館に着いた夜に家族風呂に入ったのですが、修巳は翌朝、タオルを
持って下りて行きました。あいにく家族風呂は使用中で鍵がかかっていたため、
大浴場でシャワーを浴びて戻って来ました。でも、家族風呂の良さを私と娘が話
すのを聞いてどうしても入りたくなったのか再度下りて行き、「今度は家族風呂
入れた。良かった。」と喜んで戻って来ました。
(朝からシャワーを浴びてまた熱いお湯に浸かったんじゃ、疲れてしまって長く歩けないんじゃ
ないかという心配はあとで現実のものとなりました)
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鳳明館の風情ある部屋に泊まれなかったのは残念でしたが宿の従業員の対応は
良かったです。最後に家族で写真を撮ってもらいました。
               
      
旅行最終日は谷根千の通称で親しまれている「谷中・千駄木・根津」界隈を歩く
予定でした。旅館から根津駅に向う途中にあまりにも存在感のある大学が。そこ
を通って行くことにしました。旅館から歩いて数分。横断歩道の向こうに赤門
見えました。義兄の母校、東大です。
                      
それにしても門付近にやけに人がたくさんいて、日曜だとこんなに見物客が来る
んだろうかと思って門をくぐったら、模擬店が並び学生が勧誘のプラカードを持って
声を上げていました。遠くに「五月祭」という大看板が見えました。
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ガイドブックを持っているし大学の校内を抜けるくらいさほど苦労しないだろうと思っ
たのが甘かった。ガイドブックの絵の通りに歩いても目的の建物に行き当たらず、
警備員さんに聞いて進んだはいいけれど次の分かれ道でまたわからなくなりを繰り
返し、三四郎池に行くまでに疲れてしまいました。(その時は重い荷物を持ちながら
だったので余計に疲れました)
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修巳は一人でどんどん思った方へ行ってしまい、残された私と娘はとにかく目的の
安田講堂に行きました。講堂前では学生のグループがヒップホップダンスを踊って
いました。正直言ってとてもがっかりしました。ダンスが悪いのではありません。
私としては休日の人気のない空気の中で静かに安田講堂を見たかったのです。
学生と警視庁の攻防戦があった頃私は小学生でしたが、テレビで見た水を被る
講堂の姿は強烈に頭に焼き付いています。あの時代、あの頃の学生たち、あの頃
の自分など思いながら正面から講堂を見たかったです。
安田講堂裏にコンビニがくっついているのにもちょっとがっかりしました)
        
大音響と大勢の人に気落ちして建物から離れ、修巳と合流し、工学部の建物を見な
がら大学を抜けました。
              
あとから思えばそのまま谷根千に行けば良かったのですが、欲を出して弥生美術館
と(同じ建物内の)竹久夢二美術館に寄って作品を観ました。疲れが足に来ている
うえに美術館でも足が痛くなり、だんだん三人とも口数が減りました。 つづく、、