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2010年4月
4月30日 「お土産」
生徒のあんなちゃんから修学旅行のお土産をもらいました。私の大好きな八ツ橋。
特に好きな生八ツ橋で普通のと抹茶のと二種類。抹茶味も大好きだから嬉しかっ
たです。あんなちゃんは娘が卒業した中学の3年生。娘が修学旅行に行った後で
自分達のリュック(登校時に背負う指定バッグ)がとても目立ち、自分の仲間をすぐ
に見つけられたと言っていたのを思い出し、「あんなちゃん、◎中のバッグね、、」と
言いかけたら間髪を入れず「ダサい、、」と低くつぶやいたので笑ってしまいました。
あんなちゃんは非常に音楽性のある子です(特にお父さんの影響大かな)。今年は
受験生で大変だと思いますが、できることなら長く続けて欲しいと思っています。
                   
         
いつも美味しいものをくださる青野さんからまたたくさんお餅を頂きました。煮豆も頂
きましたが、大豆、人参、昆布のほかに落花生が入っていてあまりに美味しく写真
を撮り忘れました。すみません。
      
4月25日 「恋しくない?」
私は高校3年生の時父と凄まじいケンカをしました。大学なんか行かなくていいと
言う父と大学へ行きたいと言う私が真っ向から対立したのです。姉がすでに東京の
大学に行っていて家計が苦しいこともありましたが、父の本音としては一人は家に
残って欲しいという寂しさだったろうと思います。じつは私は大学へ行きたいという
よりは東京へ行きたかったのです。東京が憧れでした。反対する父と口も利かない
日が続き口を開けば大ゲンカ。最後には父が折れ受験にも合格し、嬉しさ胸いっぱ
いで上京しました。
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大学生活は楽しいものでした。ビルが林立する町並みや広い道路、3分おきにすぐ
来る電車、輸入楽譜も難なく手に入り銀座の地下では3本立て350円の映画が観
られる、、田舎では考えられない生活でした。大学に行かせてくれた両親の恩に報
いようと懸命に練習したし友達もたくさんできました。希望通りになったし楽しいこと
ばかりだったけれど、東京に長く住むのは嫌だなと思い始めました。通りから外れた
細い路地でも殆ど緑がなく、夜でも車の往来は激しく、大学からアパートに帰る間に
環状線を通ると洗濯機の水が真っ黒になるくらい服が汚れる、、そういったことが
だんだん嫌になって来たのです。夏休みや冬休みが来ると飛ぶようにして家に帰り
ました。のんびりした街の空気、部屋で丸まる猫、たくさんの星、、ほっとしました。
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修巳は私よりももっと田舎の生まれで東京より遥かに遠い広島に行ったにもかかわ
らず、大学生活の間中(数年いました)ただの一度も故郷に帰りたいと思ったことが
なかったそうです。あんなに優しい両親で家族も温かく、友達もたくさんいるのどか
な町にまったく帰りたい気が起きなかったというのが不思議でなりません。昨日娘
の「全然ホームシックにならない。こっち(都会)の生活が板についてる。くーちゃん
が気になるくらい。」というメールを見て完全に修巳似なんだなと思いました。毎日
のようにメールしてくるし、○○は何分くらい煮ればいい?と電話もしてくるし、家を
忘れているわけじゃないですが猫以外は気掛かりじゃない様です。この連休も私が
言ったから仕方がなくちょこっと帰るという感じ。30日の夜に帰り来月4日の始発で
戻るそうです。まあそれだけ向こうの生活に馴染んでやれてるわけだから良いこと
です。今日は渋谷に楽譜を買いに行くと言っていました。
  
4月19日 「組長」
今月から地区の組長になりました。今まで「11組」だったのが新たな編成で「9組」
になり軒数も半分になりました。組長になるのはここに住んで2回目です。1回目は
20年も前のこと。結婚してこの場所に住んで1年で組長になるはずが私が強盗に
刺されて重症を負うという事件があったため次の方に先にやってもらい、もう1年経
ってから組長をやりました。当時は25軒くらいあり配り物や集金が大変だった上に
うちが組長になった一年の間に3人お亡くなりになり、その度に小さかった娘を組の
友人に預かってもらい葬儀の話し合いを遅くまでしました。
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新年度組長になってからもう2度回覧板を回したり、書いてもらった世帯台帳と組費
を集めに回りましたが、伺うと留守の家も多く11軒分揃うのに一日4往復くらいしま
した。11軒のうち8軒は並んでいますが、2軒は8軒目から数十m離れていて、うち
はさらに20mくらい離れているのでいい運動になります。何を話すでなくても隣接し
ていればお互いの様子がわかりますが、うちは一軒だけ離れていることもあり今ま
で組の人の様子があまりわかりませんでした。それが組長になって一軒ずつ伺うと
玄関に置かれた鉢の花がもうすぐ咲きそうだったり、釣り道具を置いてあったり、小
さな靴を干してあったり、ドアホンを鳴らすと必ず吼える犬がいたりと、その家々の
生活がよくわかります。
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これから一年、仕事のために会議を欠席しなければならないこともあるとは思いま
すが地区の方のご迷惑にならないようにやって行こうと思います。
   
4月14日 「雀」
一週間前のことですが、昼下がりに一人でお茶を飲んでいたら「バン!!」という
大きな音がしました。普段風が吹いても雷が鳴ってもぐうぐう寝ているくーちゃんが
ガバッと半身を起こしました。何か異様な気配を感じたのか、じっと窓の外を見てい
ます。誰かいるのかと少し怖くなりましたが、そっと近づいて窓の外を覘いてみると
二羽の雀がいました。一羽はうずくまり、もう一羽は完全に裏返しにひっくり返って
います。どうやら二羽で飛んでいてガラスに気づかずぶつかった様です。相当の衝
撃だったのか裏返った方は微動だにしません。
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なんとかしなければ!と外に出てうずくまっている方の背中をさすってみました。
野生なのに逃げもせずじっとしています。裏返っている方は死んだ様に見えました
が起こしてみると生きていました。さすってあげようとしたら、ふらつきながらも羽ば
たいて下の窪みに逃げました。うずくまっている子より裏返っていた子の方が体が
大きく人間への警戒が強い様でした。二羽とも生きていることはわかったけれど、
どちらもふらふらなので元気が出るまで保護した方がいいかもしれないと、部屋に
戻り箱を探して少しご飯粒を持って戻ると二羽ともさっきのままでいました。箱を持っ
ては来たもののどうしようか、、と迷っていたら体の大きい方が少しずつ動き始めま
した。首を動かし、羽を動かし、、だんだん動きが自由になりパタパタッと羽が動き
始めたかと思ったらサッと飛びました。ちょっと先の植木鉢へと飛び移り周りを覗っ
ています。小さい方はうずくまったままだけれど、はっきりと意思を持って周りを見て
いるのがわかったので私は家に戻りました。
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部屋から様子を見ていると、体の大きい方が植木鉢からなんとか大きい木に飛び
移りました。小さい方はそれを見ていながら自分はまったく動かず、何かを待ってい
るようにずっと空を見上げています。なんだろうと空を見ても何もいません。それでも
小さい方は顔をあっちに向け、こっちに向けして空を見上げています。3分くらいして
から十羽ほどの雀の集団がサーっと庭に下りて来てチュンチュン何かを啄ばみ始め
ました。すると、大きな方の雀が木から飛び降りて集団に加わり、それを見た小さい
方がたどたどしい飛び方でチョンチョンとそちらに近づいて行きました。しばらくしたら
もうどの子がさっきの二羽かわからなくなってしまいましたが、ガラスに羽がこびりつ
くほどの衝撃だったのに二羽とも無事に家族の元に帰れたことが本当に嬉しかった
です。
                      
    
4月9日 「結婚記念日」
22年前の今日はまだまだ肌寒く、桜の花は少なかったと記憶しています。修巳の
親もまだ若く私の父の涙にもらい泣きしてくれました。地元の友人の出席も嬉しかっ
たけれど東京、埼玉、姫路、広島など遠方から駆けつけてくれた友人達にも感謝し
ました。目の前に並ぶお料理がそのまま捨てられるのは耐え難いと食べていたら
「よく食う花嫁だなあ。」と大笑いされました。あれから22年。修巳はあの時の義母
の年齢にもうすぐ追いつきます。無事に迎えた記念日を千の風になって見守ってく
れているでしょうか。
              
先日実家の両親と行った蓮華寺池公園に昨日二人で行って来ました。2〜3日の
ことでこんなに違うのかと驚くくらい桜が満開になっていました。「桜の木はみんな
バンザイしてるみたいに枝を広げてる。」と修巳が何度も言っていましたが確かに
途中で切られていない木はみんなバンザイしてるみたいでした。修巳は何度も花に
顔を近づけて桜の匂いを確かめていましたが、私はほとんど匂いを感じませんでし
た。ここの桜より笛の会の皆さんと見た桜の方が匂ったそうです。秋の紅葉も綺麗
ですが桜の花には特別心を惹かれます。厳しい季節の後に咲くからでしょうか。
国花ではないけれど日本人にもっとも合う花ではないかと思います。
    
            
  
                 
  
            
     
4月5日 「お花見」
娘が引越しする前に一緒に桜を見ようと先月28日に瀬戸川の土手に行ってみた
のですが、あいにく雨がぱらついたうえに冷たい風が吹き桜も五分咲きでした。
用意したお弁当も家に帰って食べました。開花が早かったので一気に満開になる
かと思ったのですがちょっとこちらの気が早かったようです。
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昨日、実家の両親と蓮華寺池公園へ行ってみました。満開の木も多かったですが
全体的には八分咲きという感じでした。父の足が弱っているので公園の車椅子を
借り入り口からいくらも行かないところで、でも向こう岸の桜が見渡せる池の縁で
お弁当を食べました。幸い風は穏やかで父も食欲があり安心しましたが、修巳が
笛の会の皆さんとの花見でいなかったのと娘がいないのが寂しかったです。本当
は池を一周ぐるりと歩いて桜を見たかったのですが、父も母もそこまでの気力がな
い様なのでお弁当を食べ終わるとすぐに帰って来ました。今日はうって変わって雨
になったので昨日行って本当に良かったと思いました。
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娘は毎日生活の様子や大学での出来事をメールして来ます。長い話は電話して
来ますが特に花の話はしません。でも、買い物に行く途中の川沿いの桜の画像を
送って来ました。花を愛でる気持ちを忘れないでいてくれて嬉しかったです。
     
           蓮華寺池公園の
          ほんの一部です
                                   
                    娘が送って来た画像
     
   
4月2日   「入学式」
昨日私と実家の母とで娘の入学式に行って来ました。大学にもなって入学式に
親が出て行くものじゃないのかもしれませんが、たった一人の子供だし小さい頃
から世話になった母に見てもらいたくて行ってもらいました。家を出る時には強い
雨が降っていましたが関東はまったく降っていなくて、大学に着いた頃は晴れ間
が広がっていました。新入生はホールで、父母は講堂で(こちらはモニターを観て)
入学式に臨みました。式が始まる前から先輩達が庭で演奏をしていてくれ、入場
の際はパイプオルガンの演奏があり、入学式は打楽器、ファンファーレに続き学長
挨拶、在校生による歓迎の言葉と続き、式終了後には東京交響楽団の指揮者で
あり本大学の教授でもある秋山和慶さんの指揮で「ハレルヤ」「威風堂々」が演奏
されました。とても感動的な式で母は涙していました。
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式後は学食で食事を頂きました(この日は無料)。ハッシュドビーフを食べましたが
美味しかったです。式後のガイダンスを受けていた娘が来たので数枚写真を撮り
ました。娘達はその後も教材の説明と配布やサークル紹介、歓迎演奏会など予定
が詰まっていたためそこで別れました。大学から駅まで歩いて数分。食材を買い、
娘のマンションに寄って母に部屋を見てもらいました。思った以上に広くていいと
言ってくれました。角部屋で出窓があるため明るくていいです。娘は毎日作った食
事を写メで送って来ますがまあ今のうちだけでしょう。
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マンションを出てから駅のデパ地下でちょっとおやつを食べ、アクセサリー作製キッ
トを買い帰路に就きました。都会は車より電車の方が便利でいいのですが歩くとこ
ろが多く階段ばかりで母には大変な思いをさせてしまいました。(買ったばかりの
靴が合わないそうで余計に申し訳なかったです)でも、行ったことをとても喜んで
くれたので嬉しかったです。卒業式にも来てくれるよう長生きして欲しいです。撮っ
た写真はすぐプリントアウトして父や修巳にも見てもらおうと思います。娘が元気に
大学生活を送ってくれることを願っています。(娘はアメリカでホームステイした際
家が恋しくて何度もこのホームページを見たそうです。今度はマンションで見ること
でしょう)