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2013年  9月
9月24日 「6月から今日まで・その2」
腱鞘炎になった時、母の勧めで整骨院に通い始めたのですが、初めのうちは背中、
首、肩、腕がパンパンでした。運転も辛いからなるべく避けようと思っていた矢先に
骨折してしまいました。いま両親は二人暮らしで父はもう運転をリタイアしてい
ます。買い物・通院から自分の仕事と父の送迎すべてを母がやっていたから困った
ことになりました。
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昼間は姉や義兄が、夕方から夜は私が母を仕事場や病院、スーパーへ送迎し、父
の(仕事場への)送迎もしました。修巳も手伝ってくれました。子供として当たり前のこと
ですが、コンサートまでなるべく腕を休めようと思っていたのに今まで以上に運転する
ことになり焦りました。それを知った友人が何度もマッサージに来てくれました。
また、修巳の弟子の柴田さんは手持ちの傾斜計のレーザーが役に立つ(患部に
レーザーを当てる)と貸してくれたりしました。
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そのうちに整骨院の治療成果が表れてきて、体の強張りが減り指も滑らかに動き
始めました。演奏の仕事も無事に終え、ホッとした矢先にの様子がおかしいと母が
電話して来ました。慌てて駆けつけた時には先に着いた姉が救急車を呼んでいました。
父はお盆過ぎに一度熱中症で体調をくずし治療を受けたのですが、この時は40度の
熱で受け答えがろくにできなくなっていました。総合病院に着いた時にも朦朧として
いたせいか医師から容態急変も覚悟するよう言われましたが、幸いにも二日目には
すっかり平熱に戻り会話もできるようになりました。
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医師の退院許可はすぐ下りましたが、父が以前より寝起きしやすくなるようにベッド
手配したり、父の世話で母が怪我をしないように施設に入浴をしに行くようにするなど、
姉夫婦が担当者と連日話し合い手続きをしてくれました。そして救急車で運んでから
一週間目に父を連れて帰りました。若い頃から大きい声で子供たちを指導し、負けん
気が強く、庭の手入れや掃除をよくやっていた父が、施設の車で入浴に行き、両腕を
支えられて散歩をする日が来るなんて想像したこともありませんでした。姉は毎日父の
様子を見に行っています。私もできる限り訪ねようと思います。
           
9月12日   「6月から今日まで」
銀婚式を記念した5月の小旅行は親子三人の貴重な思い出になりました。それを
日記にアップしている間に腱鞘炎になりました。曲げた指が戻らなくなっただけで
なく、首詰まりや肩、腕の張りが酷くて車の運転も切なかったです。整形外科では
指を使うなと言うけれど、料理、洗濯などの日常の作業や仕事を休むわけにはい
かず、薬や湿布で凌ぐことに。でもなかなか回復はしませんでした。
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6月中旬に朝崎郁恵さんのライブを観に修巳と島田市に行きました。朝崎さんの歌
はNHK・BS「新日本風土記」のテーマソング「あはがり」が一番好きです。
この日は、朝崎さんの歌の編曲を手掛けた吉俣良さんが伴奏をするというラッキー
なライブでした。吉俣良さんはNHK大河ドラマ「篤姫」「江〜姫たちの戦国」や、「Dr.
コトー診療所2006」のほか、AIKO、SMAPなど多くの作、編曲を手掛けている方で
す。
         
                              画像:朝崎郁恵HPより
朝崎さんは奄美島唄の唄者です。何曲めかに「次は日本の曲なので皆さん、言葉が
わかると思います」とおっしゃるのを聞いて、朝崎さんの中では奄美大島は日本の
ひとつの地域ではなく、心の国なのだなと思いました。アンコールの後で「また会いま
しょうね。」と優しく言ってくださいました。朝崎さんは今年78歳になられます。元気で
ずっと歌って欲しいです。また聴きに行きます。
          
7月8日にフルーティストの山下兼司先生がお亡くなりになりました。先生は長く闘病
されていました。5月の旅行に決めた日が偶然、先生のコンサートと同じ日だとわかり、
川越に行った日の夜に聴きに行きました。
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食事を止められ点滴だけの生活で先生は20kgも痩せておられました。入院中は全然
練習できなかったというのに、伴奏が始まり、フルートに口をつけた瞬間、別人の様に
力強く、会場の隅々まで美しい音色を響かせていらっしゃいました。立っているのも切
なかったでしょうに、最後まで笑顔で応対していらっしゃいました。
                               
先生の飾らないお人柄が好きでした。ずっと前から命の期限を覚悟しておられたのか、
2年前には修巳と娘に遺品となるようなプレゼントをくださいました。先生、有難うござい
ました。心からご冥福をお祈り致します。
           
8月に修巳と演奏する予定があったため焦っていたら、母が自分の通う整骨院に行った
らどうかと勧めてくれました。それで7月下旬から整骨院に通い始めました。先生は私の
腕の張りに驚いていました。超音波で悪い箇所の炎症を散らし、電気をかけてから首を
牽引し、仕上げにマッサージという流れを何日か繰り返すうちにだんだん指が動くように
なりました。
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整形外科の先生は「指は商売道具だから」と心配してくれました。友人は毎週一時間
マッサージをしに来てくれました。母と姉は何度も声を掛けてくれましたし娘もメールを
くれました。お陰で8月のコンサートで一時間演奏することができました。
みんな、ありがとう。感謝します。