過去の日記年表へ
2012年  6月
6月29日 「二人で」
昨日は修巳と二人で娘のところに行って来ました。娘が学年選抜のオーケ
ストラでベートーヴェンのエグモント序曲のファーストフルートをやるというの
で急遽聴きに行くことにしたのです。娘はとても忙しく昼食を一緒に食べる
ことしかできませんでしたが、何日か前に胃腸炎の様な症状で苦しんでいた
のがようやく治って来たそうで、量は少なめながらちゃんと食べていたので
安心しました。         
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
娘と別れてから開場まで時間があったので修巳は娘の部屋のお風呂と
トイレ、洗面所を掃除し掃除機の吸引力が落ちた原因を探ってゴミ入れの
掃除をしていました。私はレンジの掃除と、娘が「急に見当たらなくなって
しまった。」と言っていたサングラスを探しました。見つかりませんでしたが
思ったより部屋は綺麗にしてありました。途中テレビを観たり仮眠をとったり
してからマンションを出て大学へ。小林研一郎さんが指揮をするということ
もあってか開場一時間前からホールの外に行列ができていました。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オーケストラの場合、前半分に弦楽器が並び、その後ろに木管楽器が並び
ます。フルートは木管楽器の中でも前列に並び、オーケストラ全体の真ん中
あたりに位置し、しかも段の上にいます。「私がわからなかったら隣りに体の
大きい男子がいるから」と言っていましたがすぐにわかりました。
      
                        参考図:THE ORCHESTRA 
参考図は基本の一つの配置なので昨日はホルンと打楽器の位置がこれと
は違いました。うまく演奏することよりオーケストラの中に溶け込んで調和が
取れてくれるように、大きなミスをして皆さんに迷惑を掛けないようにと気を
揉みましたが頑張って吹いていました。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コンサート終了後にホール裏で娘とちょっと会って別れました。行きは娘が
必要な物をカバンに詰めて行き、帰りは娘が買っておいてくれた、くーちゃん
の好きなシーバ(猫用ドライフード)を詰めて帰りました。行こうと思えばすぐ
に行ける距離で修巳と一緒に子供の演奏を見られるなんて、本当に幸せ
なことだと感謝した一日でした。
       
   
6月19日 「くりちゃん空へ」
先週13日。茶問屋ショーゴの奥様、奈緒美さんから、焼津市在住の「人形
芝居 くりちゃん」の代表、栗田正明さんが亡くなったと連絡がありました。
人形芝居くりちゃん)。思わず「え〜っ!?」と声を上げてしまいました。
闘病してるなんて全然知りませんでした。くりちゃんは「ごんぎつね」を一人
で何度も上演していますが、十数年前にはくりちゃんとショーゴさんが人形
を操り、舞台横で修巳が尺八を吹くというスタイルでやったことがありました。
静岡在住の福島尚哉さんが作曲したメロディは愛らしく美しく、修巳の音と
相まって深く心に残りました。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その日のうちに修巳と二人でくりちゃんのご自宅にお悔やみに伺いました。
応対に出ていらした奥様は私達を見て涙ぐんでいらっしゃいました。一年
前に肺癌とわかり治療していたそうですが、くりちゃんはまったく気力を失
わず、日々全国の人形劇発展のために力を尽くし、自分の仕事も来年の
公演を引き受けていたそうです。亡くなる一週間前にショーゴさん夫妻が
お見舞いに行った時も病院のパジャマではなくTシャツとGパンでいたそう
で、その気概に驚きました。
 
通夜、葬儀は焼津の「セレモニーホールしおさい」。くりちゃんの奥様の希望
でくりちゃんが生前使っていた人形をショーゴさんがロビーや祭壇に飾りまし
た。奈緒美さんもお手伝いしたそうですが、これは本当に大変だったろうと
思います。ひとが使ってる道具はまったくわからないのです。土台ひとつとっ
てもどれとどれを組むのか、この枠にはいったいどの布を張ったのか、この
紐は何を縛るためにあったのかなどなど、、使っていた本人にしかわからな
いことだらけですがショーゴさんは見事に飾ってくれました。その努力をわか
って頂きたく、不謹慎とは思いますがお叱りを承知で画像でご紹介します。
           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        会場入り口からすでに「くりちゃんワールド」になっていました。
    
      祭壇にくりちゃんが演じたお芝居の人形たちが飾られていました。
              
               
    祭壇横にはくりちゃんが座ってみんなを見ているようになっていました。
                
       会場入り口ではくりちゃんが演じた「ごんぎつね」のDVDが
       繰り返しかかっていました。
         
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
葬儀の時、弔辞の一番最初に修巳はごんぎつねのテーマを演奏しました。
奥様は号泣していました。棺に入ったくりちゃんの胸元にもごんの写真を
入れていました。くりちゃんはごんと一緒に空に昇って行きました。
    
日本の人形劇のために力を尽くしたくりちゃん。いつも精力的だった。
ほんとに無念だったろうと思います。私はずっとくりちゃんを忘れずにいます。
くりちゃん、ありがとう。
         2012年6月12日  享年58歳  
          人形芝居くりちゃん  栗田正明 さん
          
                           画像:ユニットMOMOのブログ
  
6月12日 「見えなかった・頂き物」
6日。金環日食と同じくらい楽しみにしていた、金星が太陽面を通過する日。
2004年の6月8日にも(日本では130年ぶりに)同じ現象が起こったそう
ですが、天気が悪かったのか見た記憶がありません。日食グラスはいつで
も手に取れるところ(エレクトーンの譜面台)に置いてあったので、朝、お向
かいの家の上に昇って来た太陽を見てみました。時間的には悪くないと思い
ますが全然わかりませんでした。日食グラスを通しても強いと感じる太陽の
光が眩し過ぎて金星がどこにいるのかわかりませんでした。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何分かおきに度々窓の外を見たのですが金環日食の時と同じでみるみる
うちに曇ってしまいました。友人に「雲がかかってるし全然わからないよ。」
とメールしたら「晴天だってわからないよ。」と返事が返って来ました。金環
日食の時には望遠鏡やカメラを用意したご主人も(結局曇って撮れなかった
のですが)、今度は最初から諦めモードで何もしなかったようです。NASAが
公開した写真を見たらよくわかりましたが太陽がまさに火の玉で怖かったです。
次は105年後。あの世で見ようかな。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  修巳の実家の玉葱。結婚当初から行く度に野菜をくれるので有難いです。
  義母が生きていた頃は、私達が帰ろうという頃に急いで自転車で畑に行き
  たくさん野菜をとって来て車に乗せてくれました。「ありがとう。」と言い
  ながら「本当の有難み」がわかっていなかったと、義母がいない今、申し
  訳なく思います。お義母さん、生き返ってくれないだろうか、、。
         
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   8月の終わりに牧之原市で演奏しますが、打ち合わせにいらした野ケ本さん
   からご自分で作った野菜とお茶を頂きました。それについては後日改めて
   お知らせします。
        
   
6月4日 「ほんとに?」
去る5月3日、4日の両日、静岡音楽館AOIで「静岡の名手たちオーディション」
が行われました。現在AOIの芸術監督である東京芸術大学音楽学部教授の
野平(のだいら)一郎氏をはじめ、志村泉、佐久間由美子、山登松和、小林美恵
といった名だたる演奏家の皆さん、それに田村博巳(AOI企画会議委員)氏が
加わり審査が行われました。 
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このオーディションは、静岡県在住、もしくは出身であることという条件以外は
年齢も国籍も楽器も曲も一切の制限がありません。また、審査員には出場者の
名前以外は学校名、出身校、所属等は伏せられ、合格者を決定し終えた時点
で初めて知らされます。年によって募集される部門が違い、今年は鍵盤楽器、
邦楽部門、アンサンブル、管楽器部門でした。娘は管楽器部門に出場するため
5/2に帰省しました。厳しいオーディションなので、帰ってから中一日ですぐ本番
というのが不安でしたが本人はいつもの帰省と変わりなくよく寝ていました。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当日は修巳の運転で静岡に行きました。娘が伴奏者の津田さんとリハーサル室
で少し練習して着替えを済ませた時点で私と修巳は客席で聴くためにホールに
行きました(審査の妨げにならないよう聴衆は2階席にしか行けないようになって
いました)。出場者は男性も女性もみんな黒、グレー、白といった控えめな色の服
なのに娘は赤いワンピースドレスで格好だけは目立っていました。(自分だけ違う
からといって気後れするような子じゃありません。私に似たのかも、、)ただ、娘は
緊張してしまったのか表情が硬く、伴奏だけの部分になると確かめるように何度も
何度もフルートを触るので気の毒になりました。「リハーサルは良かったのに〜。
本番は自分の音が全然聴こえなくて楽器がだめになったのかと思ったよ〜。」と
ちょっと悔しそうでした。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
終わったことは仕方がない、次の目標に向けて気持ちを切り替えてくれればと思っ
ていたら、なんと、娘は合格しました。知らせを聞いた時は「えー!ほんとに?」
しか出て来ませんでした。合格といっても階段を一段上ったに過ぎないのですが、
これからも頑張って進んで行く一歩になってくれればと願っています。
月15日午後6時より静岡音楽館AOIにてオーディション合格者コンサートが
開かれます。詳細は追ってお知らせしますので、ご都合が良い方はぜひお出掛け
ください。
        オーディション合格者名および野平氏の講評
            静岡音楽館AOIホームページ
            (画面中央・トピックス新着情報)