2011年 8月
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8月31日 「もう一つの言葉」
昨日の記事で書いた身内の担当看護師さんがもう一つ言ったことがあります。
身内が、点滴がだんだん少なくなり見捨てられたように思っていたことを話し
たら「違うんです」と。
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病気で体の代謝がどんどん悪くなっているのに点滴ばかりしているとむくみで
体はブヨブヨの固太りみたいになってしまうのだそうです。「点滴をやめた方が
当人の体は楽なはず。しかもそうすれば(点滴をやめれば)亡くなった時に生
前の姿に近くいられるんです。でも、胃癌で何も口にできず点滴だけが頼りの
人から点滴を完全に奪うわけにもいかないから少し点滴をしていたんです。」
と。確かに身内の体は脚と手の甲がブヨブヨになっていました。
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説明には十分納得できましたが、それならもっと早いうちに質問して答えを
もらって身内に説明してあげればよかったと新しい後悔も生まれたことは確か
でした。
   
8月30日 「別れ」
夜明け前に身内は逝きました。74歳でした。
一昨日ナースセンター裏のHCUから個室に移りました。それまでにほとんど
ろれつの回らないかすれ声しか出なくなっていましたが、「なんで移ったの?」
と私に聞きました。「隣りの患者さんの声がうるさいし(実際、一日中唸り声を
上げる人でした)、歩き回っちゃう人がいたりでしょうがないから移ったんだよ。
ここなら窓から景色が見えるし灯りも調節できるしよっぽどいいよ。」と言ったら
かすかに頷いていましたが、心の中では最後の準備をされたことはわかって
いたのでしょう。それまでの何日かまったくといっていいくらい開けなかった目
を大きく見開いてじっと空を見ていました。
       
個室に移ってからさらに容態は悪くなり、昨夜の夜8時頃にお腹が痛いと苦し
み出し点滴で少し落ち着いたものの午前1時近くなって息が荒くなりました。
「あーっ」「あーっ」と苦しい声も出始めたので「ずっと一緒にいるよ!」「大丈夫
だよ!」と声を掛けました。声を掛けた時だけ「あ」と「お」が混じったような声を
大きく上げたのは「わかった」と言ってくれたんだと信じています。3時過ぎには
目を開けたまま閉じなくなってきたので濡らしたタオルで閉じさせました。
あまりに苦しそうなので看護師に点滴してもらいましたがもう効きませんでした。
4時を回った時点で一度息が止まってしまったので集まれる者を呼びました。
だんだん、だんだん、間隔が開き、最後の息をひとつ吐いて二度と動かなく
なりました。4時42分頃でした。(医師確認は5時2分)
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身内はスキルス性胃癌が発見されるまで病気などまったくしたことがない人
でした。それだけに病気がわかった時の衝撃も大きかったと思いますが、
告知も進んで受け病気の進行具合もその都度聞いて自覚していました。
もし自分が癌告知(それもスキルス性の末期)をされたらこんなに気丈にして
いられる自信がありません。
       
今回一番心に残ったのは身内の担当看護師さんの言葉。亡くなる2日前に
身内が多量の血を吐き血圧も70を切ったので、いつもは交代する看護者3人
が揃って夜中にベッド周りにいた時別室に呼ばれました。「臨終に立ち会わな
いといけないと思わないで。はっきり言って最期を迎える時本人は周りに誰が
いるかなんてわからないの。それよりもそれまでの生活での関わりが大事。
ちゃんと寝て自分の体を大切にしてください。」と話してくれました。
「最期に立ち会う」ということに縛られていた自分が少し楽になりました。
それでも立ち会いたい気持ちはあり実際に立ち会ったのですが、もし間に合わ
なかったとしても悔いがかなり軽くなったであろう言葉でした。
   
8月26日 「看護」
4月半ばにスキルス性胃癌第4ステージと診断された身内が7月に再入院して
から一ヶ月と一週間が経とうとしています。再入院した時も元の体重より20キロ
近く減っていたのですがここ10日ほどの体重の落ち方は驚くばかりで、今では
枕の下に肩ではなくハンガーがあるのかと思うほどです。癌のために胃の入り口
や出口は隙間がないほどで胃自体も半分以下に細く硬くなってしまっています。
ここ3週間ほどは氷を口にすることを許され溶かしながら食べていましたが、途中
から少しずつ水を飲んでいます。あまりに吐くために看護師さんが鼻から胃に管を
通し床近くに吊り下げられたバッグに胃からの液が出るようにしてくれました。
時々血の混じった血液が管を通って行くのを見るのも切なかったです。来る日も
来る日も氷しか口にできず体まで氷のように冷たく気の毒でした。
       
最近は氷や水の欲しがり方が普通じゃなく、消灯後も一晩中氷や水を口にしてい
たようです。でも、だんだん体に力が入らず容器をうまく持てずに水を体にぶちま
けてしまったり、朦朧として鼻の管を引き抜いてしまったりしたのでナースセンター
裏のHCUに移されました。その日から私とほか2名の3人で24時間付き添うこと
にしました。鼻の管はもうされていないので直接吐くしかなく吐きすぎて喉や舌が
炎症を起こしています。本人の記憶はまだらになって来ていますが、「水を欲しい」
「体が痛い」「向きを変えたい」ということははっきり言うので、言えるうちに何か希
望を叶えてあげたいと思い看護師さんに頼んで入りたいと言ったお風呂に入れて
もらいましたが残念ながらお風呂に入ったという記憶がないそうです。車椅子に
乗ってみたいと言うのでそれも看護師さんに頼んで乗せてもらいましたが一ヶ月
ぶりに体を起こし、しかも肉が落ちてしまっているので5分もしたら「気持ちが悪い」
とベッドに戻ってしまいました。もっと体力があるうちにやってあげれば良かったと
悔やみました。
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起きている時は間隔をおかず水を飲んで吐くを繰り返すので、付いている者はベ
ッドにかがんで吐いたものを取り、容器を替え、汚物を処理し、体の向きを変える
などやることが多く、少しうとうとするまで3時間くらい座ることはおろか顔を上げる
こともできないくらいです。夜中の付き添いは本当に大変で安定剤を点滴してもら
っても20分もすると起きるので仮眠もとれません。身内のいる病院は看護師一人
が13人を担当しているそうですが見ていると文字通り休む間もなく立ち働いてい
ます。先の先まで考えられる頭の良さとセンス、そして力も必要だと感じました。
        
病院としてももうなす術がなく一日1本の点滴をしているだけですが、一日数本だ
った点滴がだんだん減って1本になった時に本人が「もう終わりだね。」と言いまし
た。何もしてもらえないということがこんなにも病人の気を落とさせる、反対に言う
と「病院に行けばなんとかなる。」と大きな信頼を寄せていたんだなと思いました。
残された時間は限りなく少ないであろうけれど、また、治って病院から出ることは
ないのだけれど、最後の最後までどうしたら本人が一番気持ち良く過ごせるのか
を考えながら看護していようと思います。
   
8月16日 「頂き物」
記事に載せるのが遅れてしまいましたが、旅行に行く度にお土産をくださる知人の
嘉本さんからトルコ土産を頂きました。
             魔除け。目玉が魔除けなんだけど袋まで目がいっぱい!
                            
             なんだと思います?匂いは甘酸っぱいプルーンみたい。      
                             
             男の子の頭の上に紐で繋げられてたくさん吊る下がっています。
                 
答えは「乾燥させたナス」です。柔らかく戻してから肉や野菜を詰めて料理します。
ほかにもお酒をくださいましたが写真に収める前に修巳が飲みました。嘉本さんは
今オーストラリアを旅行中。事故に遭わずに帰国して欲しいです。
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青野さんからまた美味しい梅干しを頂きました。ほかにもゼリーやお煎餅など美味
しいものをくださった皆さん、有難うございました。
  
8月11日 「ケーキ」
8月4日に修巳が還暦を迎えましたが、5日に磐田笛の会のお稽古に行った際に
そう話したら次の日に皆さんがお祝い会を開いてくださいました。午前中に私が駅
に送り帰って来たのは夜遅くになってからです。皆さんのお心遣いが本当に嬉しく
感謝の気持ちでいっぱいです。
              皆さんで食べた残りのケーキを持って来ました。
        
                        60歳を表すロウソクが下に埋もれていました。
            
  
8月4日   「祝・還暦」
今日は修巳の誕生日。還暦になりました。昨夜から「今日で50代が終わっちゃう。」
と騒いでいましたが(笑)、今日は天気も良く穏やかな60代の幕開けになりました。
本当は娘と3人でお祝いの食事でもしたかったのですが、娘は愛知県立芸術大学
作曲科に進学した友人の依頼でフルートの演奏をするため静岡文化芸術大学へ
出掛けました。一昨日、昨日、今朝と3日うちで合わせ練習をしているのを聴きまし
たがメロディーや和音が綺麗な良い曲です。伴奏譜をもらったので機会があれば
二人で演奏したいと思います。
        
午前中、市内に住む伯母を連れて身内を見舞い、帰ってから修巳と二人でちょっと
食事に出掛けました。修巳は年のわりに若いので「還暦」という響きがピンと来ませ
んが、若いタレントを見るとみんな同じ顔に見えるとか、人の名前がすぐに出ないと
か、ちょっとした段差につまずくとか、高齢になって来た人がみんな経験するような
症状が出て来たのでやっぱり確実に年をとっているんだなあと思います。とはいえ、
まだまだ精力的に演奏活動をやっていきますので、今後もよろしくお願い致します。
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