1月30日 |
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「豊川稲荷」 |
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年末に帰らなかった娘は1月3日の最終列車で帰省しました。「大晦日までには |
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帰って来て、元日には三人で市内の神社へ初詣に行き、修巳の実家、私の実家 |
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へ挨拶に行く」というのが例年のお正月の過ごし方でしたが、今年は2日に浜松で |
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演奏があり、娘は3日に帰って来たので、実家への挨拶は元日に修巳と二人で |
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済ませ、4日に三人で愛知県の豊川稲荷に行きました。 |
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昨年の12月に伯母(母の兄嫁)が危篤と聞いて病院に駆け付けた時、そこにいた |
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従兄から母方の親戚に関する色々な話を聞きました。その中で私の祖父母(私が |
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1歳の頃に相次いで亡くなったため会った記憶がありません)の話が出て、祖母が |
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豊川稲荷を信仰していたことを知りました。なぜ豊川稲荷を信仰するようになった |
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のかまでは誰も知りませんでしたが、祖母は家の庭に小さな鳥居を立て、祠を置き、 |
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毎日、熱心に拝んでいたそうです。その話を聞いてから、祖母が信仰していた |
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豊川稲荷に一度行ってみたいと思っていたので1月4日に3人で行ってみました。 |
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下りなので混むこともなく、駐車場では何分か待ちましたが、それでも思ったよりは |
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スムーズに豊川稲荷の敷地に入ることができました。裏手側から入ったので、まず |
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霊狐塚に行きました。長い行列になっていたため、参拝するまで40分くらい待ちま |
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した。寒かったです。 |
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この狐たちの前に大きな岩があり、その岩のところどころに小さな窪みがあり、そこ |
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に5円、10円と、お金が挟まっていました。そのお金を取れると良いらしいのですが、 |
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簡単には取れないようになっていて、子供から大人まで、指を突っ込んだり、木の枝を |
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拾って来て窪みをほじってお金を取ろうと必死になっていました。修巳もやっていた |
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けどとても無理そうなので、「いいにしようよ。」と言おうとしたら、持ち前の器用さで |
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10円を取り出しました。昭和24年の10円玉でした。ここでお金を取れた人は自分の |
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お金を岩に入れる決まりだそうで、取りたそうな老夫婦がいたので、修巳が簡単に |
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取れるように新しい10円玉を置いてあげて奥さんが取って喜んでいました。 |
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それから奥の院へ参拝、歩いて本堂へ参拝、ずらっと並んだ露店をいろいろ見て歩き |
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ました。飴細工の職人さんにフェレットを作ってと頼んだら作ったことがなかったそうで、 |
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ネット検索で出したシルエットを見て作ってくれました。よくできています。 |
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母へのお土産にお守りを買い、自分にも小さいお守りを買いました。それから最後に |
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参拝に来た女の子に写真を撮ってもらいました。 |
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帰りはお蕎麦屋に寄ってから東名を戻りましたが、空いていて助かりました。 |
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初めて訪れた豊川稲荷は時期もあって賑わいがあり、雰囲気も良かったです。ただ、 |
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一つだけ気になったのが、自分の家族やグループの仲間に「いい?二礼二拍手一礼 |
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だからね!!」と指示しているお父さんやリーダーがいました。「ここはお寺ですよ。」と |
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喉まで出かかったけど、正月早々お節介はしない方がいいかと思ってやめました。 |
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豊川稲荷は「円福山妙厳寺」という寺だから「拍手をしてはいけない」んですよね。 |
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娘がいる間は皆さんから頂いた物を食べたり、買い物をしたりして過ごしました。2月~ |
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4月は演奏や法事で毎月娘が帰って来るので、交通費はかかるけど嬉しいです。 |
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今年も親子の演奏がたくさんできたらいいなと思っています。 |
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1月17日 |
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「新年」 |
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本年もよろしくお願い致します |
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(喪中なので年賀状は出しませんでしたが写真は撮っておきました) |
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2日にオークラアクトシティホテル浜松に行きました。修巳が30分演奏した後で、 |
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書家の金山土洲先生の大作書道のライブが始まり、先生が書かれる「昴」の |
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歌詞に合わせて「昴」を演奏しました。この時、私は、昨年の11月頃から痛めて |
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いる左脚がまだ良くなっていなかったため、ずっと立っているのが大変で2階の |
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ソファに座っていました。ホテルの玄関ロビーでのパフォーマンスでしたが、2階 |
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からもたくさんの方が観てくださっていました。 |
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Facebookに本島さんが良い写真を載せてくださったのでお借りします。 |
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こちらは私が写したものです。わかりにくいですが、2階からも大勢の方が観て |
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くださっていました。 |
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この後、夕方には3階の一室で、土洲先生、奥様をはじめ、新年会にいらした |
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皆さんに修巳と私の演奏を一時間聴いて頂きました。癌の猫が心配で急いで |
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片付けて帰りましたが、特に変わった様子ではなかったのでホッとしました。 |
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この翌日の夜遅く、新年になって3日目にようやく娘が帰って来ました。 |
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