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2015年  3月
3月19日 「大阪旅行その2」
二日目。寒さが厳しそうだったので、毛糸の帽子にムートンブーツでUSJに入りました。
      
まず何といっても目指すは「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリーポッター」です。
本は全巻読んだし映画も全て観ているので、ホグズミード村に向かう途中で空飛ぶ車
があるのに大はしゃぎ。
              
は物語とまったく同じで、混雑の中、早速、百味ビーンズなど物語に出て来る物を
買いに行きました。ひと通り店を回ってトイレに入ったら嘆きのマートルの声が聞こえて
きて感激。もちろんトイレも映画そっくりでした。を抜けるといよいよホグワーツ城です。
バタービールが甘いお菓子のような味だったのにはびっくりでした)
         
  
ここで娘がフライト・オブ・ザ・ヒッポグリフに乗ろうと言いましたが、どうしても怖くて
乗れませんでした。子供向けのジェットコースターで、小さい子でも乗れるものですが
勇気が出ませんでした。は私の分もと2回乗って来ました。
                       
お城の中はそれこそ映画の世界。額の中で動く絵や薄明りの廊下、ダンブルドア校長の
部屋や太った婦人にワクワクしました。娘がプレミアムチケットを買ってくれたお陰で一切
待つことなくお城に入れ、最大の呼び物の「ハリーポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・
ジャーニー」はやっぱりが2回乗って来ました。これはもう、乗ったら酔うこと間違いなし
(頭と足が逆さになる)なので絶対に拒否しました。が乗りに行っている間に私はもう一度
お城の中を見て来ました。
                
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ハリーポッターエリアを出てからクリスマス仕様のジョーズと写真を撮りました。
               
      
お昼ご飯を食べ、ウォーターワールドのショーを見て(カイロがあっても震えが止まらない
ほどの寒さなのに、ショーの役者さん達はシャツ一枚の薄着でボートに乗り、水に飛び込み、
かっこいいアクションを見せてくれました)、バックドラフトに行き(ウォーターの後はここですね。
火のショーだから暖かいです)ました。
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娘が後ろ向きに乗るジェットコースターに乗ってる間(腰で止まってるだけで足は宙ぶらりん)、
買い物をしたりパレードを見たりしました。キティちゃんマリリン・モンローがいました。
          
       
     
            
                              
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あとはジュラシックパークバック・トゥー・ザ・フューチャーのみ)、ターミネーター
などに行き、プロジェクションマッピングを見て、最後にがもう一度ジェットコースター
に乗っている間にベンチに座って園内を流れるクリスマスソングを聴いていました。
(聴いている間に凍死するかと思うくらい寒かったです)
         
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夕ご飯は帰りの新幹線で食べました。今回の旅行でとにかく驚いたのは、観光地にアジアの
外国人が多いこと。道頓堀でもUSJでも聞こえてくるのは外国語ばかりといっても過言では
ないほど外国人が多かったです。
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もう一つ驚いたのは、大阪ではエスカレーターは右寄りに立つこと。皆さん右に立っていて
急ぐ人が左を上がって行ったのには帰るまで慣れませんでした。
     
      
楽しい時間はあっという間に過ぎるものです。旅行が終わるということはが戻って行くという
ことで、この時は年末まで待てば良かったですが、それでも寂しかったです。大阪に行けたん
だから、これからは少し遠出もいいなと思いました。次回はどこにするかまた考えます。
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さて、私はUSJにいる間、ずっとこのシールを頬に貼っていました。誕生月シールです。
売り場のレジ、パレードのクルー、アトラクションのクルーなど、いろんな人が突然「Happy
Birthday!!」と声をかけてくれ拍手してくれたりしました。子供だとゾンビが歌を歌ってくれ
たりするみたいです。楽しい思い出になりました。
  
3月13日 「大阪旅行その1」
昨年11月末に体調不良からなんとか復帰して修巳と仕事をこなした翌日、大阪へ旅行に
出掛けました。が大学に入ってから毎年続けている年に一度の母娘旅行です。
       
元々、の住まいからちょっと足を伸ばすくらいのプチ旅行を目的に始めたことですが、
「一度も行ったことがないから今回はUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に行きたい。」と
言うので大阪に行くことにしました。行き先が決まったら泊まるところを探さなきゃと、ネットで
USJ近くのホテルの空き状況を見てみたらどのホテルも土日は満室。仕方がなく平日を予約
しました。(大阪なら絶対に二泊というのをなんとか説き伏せて一泊にしました。仕事を
休み、修巳が働いているのに二泊三日も遊んで来るなんてどうしてもできませんでした。)
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一日目。昼過ぎに大阪に着いてまずホテルへ。開けてみたらとっても可愛い部屋でした。
おまけにカーテンを開けてみたらUSJ全体が正面から見渡せる部屋でラッキーでした。
(ただ、ハリーポッターのホグワーツ城のすぐ向こうに工場やトラックが走る高速道路?が見え
るのにはがっかりしました)
              ↓鏡にベッドが映っているだけでベッドは二つです。
               私達はこれとは反対の配置の部屋でした。
                
                         画像:ホテル近鉄ユニバーサルシティ
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ホテルに荷物を置き電車で大阪市内へ。見たい所は色々ありましたが、次の日に疲れて歩け
なくなると困るので一番行ってみたかった道頓堀界隈にだけ行きました。商店街が途切れた
ところにテレビでよく観る橋があり、ちょっと上を見たら、、ありました!グリコの看板が。
グリコのポーズで通り掛かりのカップルに写真を撮ってもらい、橋の向こうの道周辺を少し見て
からこちらの通りをずっと戻り、また電車でホテルに戻りました。
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ホテル内の大戸屋でご飯を食べようと思ったら、が「静岡に出た時も大戸屋に行くのに、大阪
まで来て大戸屋に行かなくてもいいでしょ。」と言うので、レストランに行きました。朝、昼、晩とも
バイキング形式になっていて、予約をしていなくても宿泊客は2割引で食べられます。
           
                                     画像:ホテル近鉄ユニバーサルシティ
ここで、二度目にお味噌汁をよそう時にお椀を寸胴鍋の中に落とすという失敗をしました。  
べつに手が震えていたわけじゃないんですが。もちろんすぐに言って謝りましたが、かえって
   「火傷などなさいませんでしたか?」と、娘と同じくらいのフロア係さんが気遣ってくれました。
出汁の利いたお味噌汁がまだ8割入っていたのに全て交換になり、本当に申し訳なかったです。
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部屋に戻って二日目の支度をしたり、洗面台の可愛い用品を見たり、夜になって灯りの綺麗な
USJを眺めたりしました。閉園時間が来てもアトラクションに乗っていた人やお土産を買っていた
人達がぞろぞろ歩いて来てなかなかゲートが閉まりません。そのうち、キャストが行き交うのが
見えたと思ったらだんだん照明が消えて行きました。商店街みたいに遊園地の照明が消える
のを初めて見ました。 二日目につづく。
             ↓よくわからないかもしれませんがウッドペッカーの絵です。
                       (4人部屋の画像をお借りしました)
            
            ↓閉園時間が来たUSJ
                       
   
3月3日   「卒業式の演奏」
次回は娘との旅行の話と書きましたが、その前に、今日は静岡女子高等学校の卒業式
演奏して来ました。
        
ゲスト演奏ではなく式の各場面のBGMです。来賓・理事入場卒業生入場で弾き、国歌
弾いたら、卒業証書授与で5クラスの生徒名の読み上げの間中、クラスごとに違う曲を弾き、
褒賞授与で得賞歌を弾き、式歌の後は卒業生退場来賓・理事の退場まで弾いて終わり
ました。(褒賞が多く得賞歌は8回くらい弾きました)
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電子オルガンで卒業式のBGMをやる学校があることを今回初めて知りました。昨年12月に
闘病の末お亡くなりになった私の恩師が30年間毎年弾いていらしたそうで、恩師の奥様、
ご長男様、高校の先生から依頼のお電話を頂き、恩師への恩返しの気持ちも込めてお引き
受けしました。でも、それからが大変でした。
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いわゆる卒業証書授与式の感じではなく、華やかなものにしたいという学校のご意向はわか
りましたが、打ち合わせにいらした先生方は、毎年式に出ているけれど各場面で流れていた
曲名はわからないとおっしゃるし、恩師の奥様に伺ってもわかりませんとの返事。ビデオも
録音も参考になるものは何も無く困り果てました。
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広い会場なので生音よりはスピーカーを通す方がいいと思い修巳に音響を頼むことにして、
1月に二人で高校に伺い音楽の先生にお目にかかりました。さすがに他の先生よりは詳しく
覚えていらっしゃり、曲を弾くタイミングなども教えて頂きましたが、それでも使われていた曲
全ては覚えていないことと、時代的に違う曲の方がいいものもあるとのことで、校長先生、
教頭先生のご意向も伺い、あとはなんとかすることにしました。ただ、2月の後援会主催の
コンサートで弾く曲の支度、専修学校・専門学校の表彰式でゲスト演奏をする時の曲の支度、
その合間に市内で作詞を手掛ける方の依頼の編曲と録音と、やることが山積みで卒業式
曲の支度がなかなか進みませんでした。
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入・退場は用意した曲の長さ通りにいくわけがないので、余りそうになった場合、足りない場合
の曲の構成を考え、特に退場の曲のつなぎ方、レジスト作りに手間取りました。音楽の先生が
「何もない新しいところでやるならいいけど、もう下地があるところへ来てやるのは凄く大変で
しょう。」と言ってくださいましたが全くです。先生方や上のお子さんを卒業させたことのある親御
さんは恩師の演奏のイメージを期待しているのに演奏者のが全く以前を知らないのですから。
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それでもなんとか頑張りました。楽器は昨日のうちに高校に運び、音出しをして修巳に響きを
調整してもらい、今日は朝7時過ぎに出発し、スピーカーも増やして音調整をし直して本番に
臨みました。音を出し過ぎて生徒さんを驚かせてしまう失敗もしましたが、卒業生の皆さんが
快くを終えることができたんじゃないかと思います。
         
お天気ももって良かったです。とても疲れましたが、卒業生や学校関係者の皆さんの大切な
1ページに参加できたことを嬉しく思います。修巳の協力にも感謝しています。心配してくれた
母、姉、友人、娘にも感謝します。ありがとう。