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2014年  9月
9月21日 「どこで」
少し前に、私の両親の家にあるがやって来ました。病気なのか体がひどく痩せ細り、
皮膚が腐ったようになっていました。
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6月頃にも似たようなが来たことがありました。そのの場合はもう口の形も崩れて
いて何かを食べられる状態ではありませんでしたが、母が汁をあげたら少し飲みました。
そのは二度ほど両親の家に来て、私が母に「その子が来たら」と預けておいた、舐める
だけの猫のおやつをあげたら何度か舐めて去って行ったそうです。それきり、その
二度と現われなくなりました。
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またも命が絶えそうなが来た時、母は、「どうしてうちに来るんだろう。あそこに猫好き
な人が住んでるよって、誰か(野良猫)に聞いてくるのかねえ。」と不思議がっていました。
そして、そのにも汁をあげたら少しだけ飲んでどこかに消えて行きました。後日、また
現われた時は母の足の状態がとても悪く、松葉杖をつきながら仕事に行かなければなら
なくて、何もあげられないままになってしまいました。
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そのことを母はしばらく気にしていました。私も、両親の家に行く度に勝手口付近を見て、
そのがうずくまっていなか探したりしました。そのうち、姉がケガをして、私も腰を捻挫
して、病院だ、薬だと慌ただしくしていた時、両親の家を訪ねた姉から「あのが来てる!
お別れを言いに来たのかもしれないよ。」と電話が来ました。用意しておいた猫のおやつ
を掴んで急いで駆け付けました。
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「汁を出しても飲まなかった。おばあさんがパックのご飯(うちのくーちゃんが好きなご飯で
母も買ってありました)を出したら食べたんだよ。」と、姉が教えてくれました。固形物より
汁の方が多いご飯なので、口の状態が悪くても食べられたんだろうと思います。
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おそらく何も食べてなかったのでしょう。この状態でどうしてそんな力があるんだと驚くほど
夢中で舐めていました。試しに持って行ったおやつ(チューブ)を絞り出してやったら、それも
夢中で舐め始めました。体からは腐った臭いが漂い、目もまったく見えていないようなのに、
必死になって舐めている姿に胸が詰まりました。野良でなければもっと早く手当をしてもらっ
ていただろうに。
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姉はを気にしつつ、仕事までに母の買い物を代わりにするために出て行きました。
たくさん食べて満足したのか、それとも力が尽きたのか、がうずくまったので母も家に
入りました。私はそのままを見ていたら、何かに押されたように立ち上がり、空になった
容器を舐め始めたので、またチューブを絞ってやりました。2本分舐めたところでようやく
食べるのをやめたけれど、食べて幸せというより、これから旅立つ前の食べ納めの様で
静かな空気が漂っていました。
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それが最後です。人間の勝手だけど、最後にたくさん食べられて良かったと思いました。
野良猫たちはどこで命を終えるのでしょうか。名前もなく、厳しい生活の末に短い一生を
終えたこの子たちがどうか安らかに眠れますように。
               
            
  
9月7日   「みんな整骨院」
昨夏、(熱中症で)救急車で運ばれたは、病院の適切な処置のお陰で一週間で
退院しました。それからは部屋の温度などみんなで気をつけての体調を管理して
来たのですが、今春、がベッドから降りる時に滑って腰を打ってしまい整骨院のお
世話になりました。体が痛いと家から出るのも億劫になるためか、週2回のデイサー
ビスも行きたがらなくなってしまいました。お風呂に入って清潔にして欲しいし、人に
会わず家で寝てるだけではほんとに困ると心配していたところ、ケアマネージャーさん
が来てくださり、経験豊富な優しい口調で誘ってくれたのが効いたのか、また出掛ける
ようになり、ほっとしています。
               
はもう何年も前から足の状態があまり良くなく、娘がもっと小さい頃に一緒に旅行
した時も階段の昇り降りが大変そうでした。は今でも現役で仕事をしていますが、
最近、さらに足が弱くなって来て何度か捻挫したせいで、一時、松葉杖を使わないと
歩けなくなりました。姉と私が代わりに買い物に行ったり、仕事場まで送迎したり、
整骨院の先生に往診してもらったりしてようやく杖なしで歩けるまで治って来ましたが、
完治したわけではないし、腰も悪いのでこれからも整骨院にお世話になります。
                
お盆で帰省していた娘が戻る日、仕事と仕事の合間の30分くらいの間に3人で夕飯を
食べ、仕事が終わったらすぐに娘を駅へ送るという段取りに決まったので、昼過ぎに
食事の支度と部屋の掃除をしていたら、仕事に行く前のが訪ねて来ました。用事が
済んでドアが閉まったと思う間もなくがすぐ戻って来ました。見ると頭を抱えています。
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玄関外に放射状に広がる物干しを置いてあるのですが、それに足が引っ掛かったのか
瞬間的に倒れ、しかも倒れる時に門柱に頭と顔を打ち付けたらしく、目の下が擦り切れ、
頭には大きな瘤ができていました。コンクリートに倒れたので膝を強打し、歩くのもまま
ならない様でした。「見て、見て。」と瘤を見せて顔をしかめるので、他に何の用も無けれ
ば代わりに仕事をしてやりたいと思いましたが、私もあと数分で仕事のために家を出ない
といけなかったので、急いで保冷剤や打撲用のクリームなどを渡しました。ちょうどいた
修巳もアイスノンを持って来ました。
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は、瘤が治まっても頭に傷が残り、骨は折れていなかったけれど、膝辺りは倍にも
膨れ上がり、しばらくは足を引きずらないと歩けない状態になりました。それでも、母の
用事をしたり、父を歯医者に送ったり、自分の仕事もしていたので大変だったと思います。
今、ようやく歩けるようになって来ましたが、も整骨院のお世話になっています。
                 
先月、の地区で防災訓練がありました。地区の会館に集まって、「ホースの持ち方、
放水の仕方」「避難の仕方、避難所での生活の仕方、問題点」「救護について」の3つに
分かれて説明を聞いたり、実演したりしました。最後の救護のところで、毛布にケガ人を
寝かせて運ぶ方法を説明したのですぐに参加してやってみました。ケガ人を何人かで
持ち上げて運ぶ方法などやった後で、毛布も何も無い時にケガ人をおんぶするという
説明があり、消防団員が実演しました。「皆さんもやってみてください。」と言われた時に
隣りにいたの小学校時代の同級生のお姉さんが「私をおぶってみて。」と言うので、
おぶって立ち上がろうとしたけどびくともしませんでした。
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「無理、無理。」と言ったら、消防団の方が「立った状態でおんぶしたら?」と言うので、
立ってやったら少しおんぶできましたが、そのままだとずり落ちそうなので、「よいしょ!」
とお姉さんの体を持ち上げた途端、「ビシッ!」という衝撃が背中に走りました。腰に岩を
投げられたような痛さで、思わず「痛い!痛い!」と叫んでしまいました。少しの間は動け
なかったものの、その後で歩いて家に帰れたから重度の捻挫ではなかったと思います。
でも、湿布を数枚貼って静かにしている間にもどんどん痛みが増して来ました。
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当日の夕方には同じ組の消防団の方がお見舞いに来てくれ、翌朝には同級生のお姉さん
が謝罪に来てくれました。とにかく病院に急げ!と、もまた整骨院に通うことになりました。
保険のきく整骨院なので、一回の値段はコンビニのお弁当より安いくらいで助かりますが、
早く腰を治して庭の草取りをしなくちゃと思っています。